袖振り合うも多生の縁
こんばんは!まんまるです(・ω・)
先日、3週間ぶりぐらいにブログを更新しました。
3週間ぶりの更新だったので、皆さん見てくれるだろうかと不安でしたが、多くの方に見ていただき、温かいコメントもいただき、
本当に感謝しております!!( ;∀;)
この嬉しさ、懐かしいー!
と感動しておりました( ´∀`)♪
本当に皆さまのおかげで、ブログを続けられています。
ありがとうございますm(_ _)m
袖振り合うも多生の縁
友人と話をしたり、ブログを書いたり、仕事をしたりするなかで、人との出会いの大切さを改めて感じるようになりました。
心に余裕ができているおかげで、通勤中の満員電車で足を踏まれても、コンビニの店員さんに無愛想な対応をされても、受け流せるようになりました(。-∀-)
そんな時に知った「袖振り合うも多生の縁」ということわざ。
ご存知の方も多いと思いますが、次のような意味があります。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。
とても心に刺さりました。
道ですれ違う人・同じ車両に乗り合わせる人など、今は全くの他人だとしても「明日この人に助けられるかもしれない」「私の友人の友人かもしれない」「この先、仕事で縁があるかもしれない」と考えると、たしかにその時の感情による軽率な行動はできなくなるなぁ…と思います。
先日、私が満員電車の中で足を踏まれたときは、相手の方は踏んでしまったことに気付いているようでした。
「あっ」という反応をしていたのですが、「すみません」というお詫びはなかったので、正直悲しい気持ちになりました。
「満員だから仕方ない。この人も私の足を踏みたくて踏んだわけじゃないんだ」と自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせました。
でも、相手の方と私がもし友人同士だったら、きっと相手の方は自然に「ごめんね」という言葉が出ていたのではないかと思うのです。
そう思うと、さらに悲しい・・・
深く考えないようにしよう(/´△`\)←
人との縁はどこから巡ってくるかわかりません。
だからこそ「他人だからいいや」と思うのではなく、「ごめんなさい」や「ありがとう」などの気持ちを素直に伝え、お互い気持よく過ごすことが一番だと思います。
と、えらそうに言ってますがなかなか難しいです(´・ω・`)
…まずは自分が変われるよう、心がけます!
知り合いだろうが他人だろうが、誰に対しても「ごめんなさい」や「ありがとう」を素直に言えるように。
自分の大切な人たちと同じぐらい、全く知らない方のことも大切に思えるように。